アスペルガールのどっこい生きてる日々

52歳、女性、バツイチ独身、そして、アスペルガー2級です。発達障害のある人が、社会で暮らしていくにはどうすればいいか、具体的に紹介していきます。発達障害の方、発達障害のお子さんをお持ちの保護者の方に、是非来ていただきたいと思っています。

アスペルガーで良かった、と思うこと ①自分の「トリセツ」がわかります

では、アスペルガーの当事者として

アスペルガーで良かった」と思うことはあるのか、といいますと。

 

あるんですね、これが。

案外、たくさん。

 

まず、一番先にあげたいのが

自分はどんな人間なのか、を、じっくり観察することができたこと、です。

 

健常者の人は、結構、これをやっていないんです。

会社に入ると、会社や上司のいうことを聞いて

また、言われたことを言われたとおりにこなす能力がありますから

そこそこ、仕事が生きがいで、出世もして。

この、「仕事というおもちゃ」を取り上げられた定年後に

初めて、自分と向き合うことが多いようです。

 

自分は、何がすきなのか

どんなことをすれば、幸せなのか

どう時間を過ごしていきたいのか

自分の生きる意味は何なのか

なまじ、今まで「人と同じ」生活をしてきただけに

いきなり、「自分自身の幸せ」を聞かれると、おろおろするようです

 

いわば、「幸せになるためのトリセツ・自分版」を作る作業です。

こんな壮大な事業に

六十五才から、はじめて向き合うのは、

確かに結構しんどいでしょう。

 

これに対して

アスペルガーは、子供のころから

ずっと、この問いに向き合っています。

人と違う自分を意識するたびに

自分だけの生き方、自分の理想を、自分の力で考えていかざるをえません

私のように、五十を過ぎ、半世紀もこの精神構造で生きていくと

自分の幸せの形

自分にできること、できないこと

どの程度のお金が必要なのか

たいていがわかってきます。

もうすでに、「トリセツ」は完成済み

後は、この「トリセツ」どおりに生きていくだけです。

 

いわば、同じ崖を超えるにしても

健常者の人は、老後に超えることになり

アスペルガーの人は、大体三十代までに超えることになる

 

この崖を超えきってしまえば

アスペルガーの熟年、老後は

案外楽しいものなんじゃないか、と思っています。

 

少なくとも、五十二歳の私の生活は

(ありがたいことに、怪我も病気もないという

 幸運に恵まれていますので)

今のところ、百点満点でいえば、八十二点くらい

案外楽しくやっています。

健常者にしないで欲しいこと② 押し付けないでください

 

幸せの形なんて、人それぞれ

美味しいものを食べるのが好きな人

家族と一緒に過ごせればそれで充分な人

社会で名を成して、誰からも尊敬されたい人

それぞれが、いわばその人の好みです

ありがたいことに、現代の日本は自由主義の国家なのですから

自分が一番好きなことをして、

好きなように暮らしていけばよいのです

どれが正しい、とか、どう生きるべきか、というお説教なんて

おとといおいでなさいませ、と笑顔でお断りしたいくらいです。

 

特に、アスペルガーに何かを押し付けることは

まず、できないと思ってください。

 

猫を飼っている方なら一番話が早いのですが

本来的に、猫は犬と違って

忠誠心などは薬にしたくもありません

ご飯を貰い、トイレを掃除してもらい、幸せに暮らすために

ダメと言われたことは、やらない

ただし、飼い主がいるところでは

夜中に人目がなくなると、そっと袋菓子のパッケージを開けて

中身を盗み食いくらいはする

叱られても

だって、食べたいんだもの、と平然としています。

 

社会で生きているアスペルガーも、心の中は猫のようなものです

表面ではルールに従っているものの

単に表面だけ

心も頭も全然ほかの方面に飛んで行っています

ただ、経験上、自分の思ったことを思った通りに言うと

どこまでもごたつくので、黙っているだけ

ついでに言えば、この時は

いわば「心のスイッチ」を完全に切っているので

特有の無表情になっていることがほとんどです。

 

アスペルガーの幸せは、健常者の考える幸せとは

かなり違っていることが多いです。

例えば

アスペルガーにしてみれば、健常者が考えていることはよくわからない

時々、突然怒り出したりする

(これは、一般常識からみると

 アスペルガーの方が失礼だったり

 非常識だったりするのですが

 そもそも「一般常識」を作ったのが健常者ですから

 アスペルガーにとっては、初めて放り込まれた外国での

 生活習慣を学んでいくようなもので

 どうしても失敗が多いうえに、最後の一線では

 理解できません)

なので、

「人からちやほやされる」「友達たくさん」

などは、聞いただけでぞっとします

自分の時間と引き換えの「立身出世」も嫌う人の方が多いでしょう

「会社は永遠」なんて思うアスペルガーはまず皆無ですし

お金も分不相応に多くて、自由に使っていいと言われると

途端に何をどうしていいのかわからなくなりますので

障害年金と合わせて、生きていける額を貰えれば十分

 

つまり、アスペルガーの幸せというのは

自分の心の満足する生き方に尽きるのです

もちろん、何をすれば自分が満足なのかは

人によって違います

 

なので

特に、アスペルガーのお子さんをお持ちのご両親は

健常者の考える最大公約数的な幸せを

押し付けないであげてください。

その幸せをゲットするための型に、お子さんをはめ込まないであげてください。

お子さんにとっては、それこそが大きな不幸なのです

 

アスペルガー関連書籍に物申す② 「お金の管理ができません」という記事のウソ

アスペルガーって、こんな障害ですよ、と紹介する本は

このところ、かなりたくさん出版されてはいるのですが

中には、

「こんなのないない」

「これ、単なる個人差でしょ」

と思うものがかなりあります。

 

こうした本にまとめて喧嘩を吹っ掛ける、

以前、シリーズ化します、と宣言していた

アスペルガー関連書籍に物申す」

今日は、その第二弾

アスペルガーは金銭管理ができないのが特徴です」という項目です。

 

これは、カサンドラ症候群の奥さんが

アスペルガーの旦那さんを描いた漫画でも取り上げられていたこともあり

かなり広まってはいるのですが

 

はっきり申し上げます。

誤解です。

金銭管理はできます。

ただし、工夫次第です。

 

え、あのマンガ読んだけど

旦那さんがいつの間にか借金こしらえちゃって

いくら言っても、浪費ばかりする、って書いてあったわよ

いくらなんでも、あれまでウソ呼ばわりするのはひどくない、という

抗議の声が聞こえてきそうですが

 

私もアスペルガー、しかも、

1級に近いと言われた2級(かなり重いです)ですが

借金は家のローン以外、一度もしたことはありません。

 

そもそも。

アスペルガーは数字に非常なこだわりを持っていますから

お金の管理は得意ではないにせよ

苦手にはならないはずです。

 

それでも、つい使いすぎてしまうのは

以前書いた、「過集中」つまり、のめりこんでしまうからです

スーパーでの特売品の値引きシール

今まで食べたことのない、ちょっと珍しい果物

半値になった高級チョコ

私だって、気持ちはひかれます。

 

ですが。

ここが、頭の使いどころです。

出かけるときに、使っていい額を決めて

その額以上の現金をお財布に入れなければよいのです

「今日は総額二千円まで」と決めれば

頭の中で籠の中のものの値段の計算をしながら

買い物をすることは難しいことではありません。

買う前に、買い物メモを作って、

それ以外買わない、と決めるのも

かなり効き目があります。

そんな、子供じゃあるまいし、と言われそうですが

アスペルガーは、むしろ予定が決まっているほうが動きやすいので

メモ以外の物は買わない、と決めて

予定の額よりも買い物が安く収まったら、

コーヒーの空き瓶など、目に見える物に貯金をしていく、

これで、何とかなるはずです。

 

趣味の物もそうです。

一月の上限をいくら、と決めて

それ以上は買わない、というようにすれば

そうですね、少なくとも私はうまくいっています。

 

具体的には、私と父の二人暮らしですが

光熱費(これは父が払ってくれています)は別で

家は持ち家(家賃がないということです)

一月多くて9万、切り詰めた月は7万でやっていけます。

 

結論として

金銭管理は工夫次第です

「できない」と決めつけないでください

ということです、はい。

アスペルガーを知ってください① 過集中

アスペルガーの特徴って何、と聞かれることがあります。

アスペルガーの関連書籍などを読むと、実にたくさん挙げられているのですが

私に言わせれば

あのうちの九割が枝葉末節

つまり、根本になる特性から派生した

具体的なこまごまとした反応にすぎません。

 

では、その「根本」であり、「幹」である特性とは何か、というと

私は

その一つは過集中

だと思っています。

 

簡単に言うと、「のめりこみすぎる」ということです。

 

先日、メンタリストのDaigoさんが書いた

「好きなことを仕事にする」というタイトルの本を読んでいたら

「何かをやっていて、『もうこんなに時間がたっちゃったの』と思うことが

 本当に好きなこと

 本当に好きなことが何かわからない人は

 この『時間の歪み』があるものは何か、と考えると

 わかりやすいです」とう内容にぶち当たりました。

 

私が何よりびっくりしたのは

健常者は時間が歪まない

ということです。

私は、四六時中歪んでいますね

興味のあることをしているときは、三時間が十五分くらいにしか感じません

興味が無くても、何かにすぐに熱中しやすく

熱中し始めたら最後

それが引き出しの片づけでも、トイレの便器磨きでも

一時間くらい、すぐにたってしまいます。

逆に、本当にいやいやながらやらされている

仕事の一つ、上司から手渡された名簿をもとに

知らない人に電話をかけて

「当塾では(私は塾の講師をやっているのです)春期講習受付中です

 合わせて無料体験もいかがですか」とお誘いする

などということをやっていると

十五分が、半日くらいの長さに感じられます。

お金のためなので、我慢してこなしてはいますが

消耗のひどさは言葉になりません

 

つまり、まとめて言えば、こうです。

 ・興味のあることには集中を超えて、没頭する

 ・興味が薄くても、始めてしまえば

  「これが大好き」という健常者と同じレベルまで集中する

 ・興味のないことをさせられると、目は死んでいるし、ミスも多い

  業務のレベルが露骨に落ちる上に、その日は半日以上使い物にならないほど

  消耗する

 

没頭するならいいじゃないか、と言われそうですが

「没頭」です。「集中」のレベルを軽く超えます。

ですから

 ・電話の音は聞こえない

 ・話しかけてくる声も聞こえない

 ・切り上げる時間が来たのに気が付かない

 ・いい加減なレベルでやめることができない

   自分が納得するレベルまで仕上げてしまう。

   他の仕事が詰まっていても、配慮ができない

途中で遮られるのを嫌う。激怒する人もいる

   これは、途中で遮られると「どこまでやっていたか」を

   思い出せなくなるためです。

   いわば、今までやっていた仕事がゼロになってしまうようなものです。

   こう書けば、遮られるのを嫌がる気持ちが、少しは伝わ…りませんか?

 

ただ、この困った状況は

最初の指示だしの仕方を工夫してもらえれば、

かなり防げます。

例えば、仕事の終了時刻を明確に指示する。(何日の何時何分まで)

進め方は、細部を完璧にするのではなく

まず、アウトラインだけでいいから最後まで仕上げる。

その次に、内部を充実させていく

それも、まず全体的に三十パーセントの内容で最後まで仕上げる

次に、三十パーセントの内容の中で

基礎知識のない人が見たら引っかかると思われる部分に注を付ける

注が終わったら、五十パーセントを目指して、進めるところまで進める

期限が来たら、次に何をしたかったか、

それができるまでにはどのくらいの日数が必要かをメモ書きにして

一緒に報告する

 

というような指示があれば

かなり楽に動けます。

 

とはいえ、会社にこれを求めるのは事実上不可能でしょうが

例えば、ご家庭で宿題のやり方に困っておられる保護者の方など

一度お試しになる価値はあるかと思います。

2月分1000アクセスを超えました

タイトル通りです。

2月12日現在で、2月のアクセスが1000を超えました。

 

私は普段はブログのアクセス件数は見ないことにしています。

アスペルガーは数字に強いこだわりがあり

特に私の場合、いったんこだわり始めると

どうして今日はアクセスが少ないのか、だの

どこの検索エンジンに登録すればいいのか、だの

上位のブログとの違いは何だろう、だのと

どこまでも凝り始めてしまい

挙句の果てには、出勤時刻ギリギリになっても

パソコンの前から離れられなくなることが

多かったからです。

(今まで書いてきたブログも、それで閉鎖したものがおおくありました)

 

それが、本当に久しぶりに

なんの気なしに見たアクセス数が

おとといの段階で1036!!

 

1000人と言われても、数が多すぎて

群衆にすると、どの程度の規模なのか、見当すらつきません。

 

延べ人数とはいえ、それほど多くの方が私の書いたものを

読んでくださったのだと思うと、

なんとも言えず、静かに感動します。

また

それだけの人数の方が、アスペルガーを知ろうとしてくださったのだと

考えると

もっとわかりやすいものを、

もっと役立つものを、

もっとアイデアを出し、工夫をして

頑張って書いていこう、と思いました。

 

読んでくださった方、本当にありがとうございます。

より一層、精進いたしますので

今後ともよろしくお願いいたします。

 

なお、「これについてはどうなの」「これをどう思う」という

ご質問やコメントもお待ちしております。

お気軽にどうぞ

健常者にしないで欲しいこと① 友達を強要しないで

健常者の唱える道徳の一つに

「自分がされて嫌なことは人にしてはダメ」というのがあります。

 

悪いとは、思いません。

ただ、これはアスペルガーには

当てはまらないと思ってください。

 

アスペルガーは、生まれつき脳の動き方が

定型発達の人とは根本的に違います。

なので。

定型発達の人が少しも嫌だと思わないことや、むしろ喜ぶようなことが

アスペルガーにとっては、非常な苦痛になることが多いのです

 

その一つが、特に学校で強要される

「お友達」です。

 

アスペルガーにとっては、自分の興味のあることは

とことん興味を持つのですが、

逆に、興味のないことは、

この世に存在してもしなくても同じ、というレベルで

興味がありません。

ですが。

友達付き合い、となると、そうはいきません。

 

「わがままを言わずに、相手に合わせなさい」

「そうしないと、お友達ができませんよ」

「班活動を頑張って、班の回覧ノートを書きなさい」

「あなたがそういう態度だから、いつも一人ぼっちなんですよ」

 

私が高校を卒業するまで、ずっと言われ続けてきたセリフです。

ですが。

私が内心思っていたことはこうでした。

 

 ・無理して興味のない話に付き合わされても、何も楽しくない

  それどころか、興味のない話を聞かされていると強烈な眠気に襲われて

  起きていることができなくなる

   → 一人で好きなことをしている時が一番幸せ

 

 ・私が相手に合わせても、相手は私に合わせてはくれない

  ということは、私は相手を友達だと思っていても

  相手は私を友達だと思ってはいないのではないか

   → 片思いなら、せめて異性を思いたい

     同性相手に「私のお友達に…」などと片思いするような趣味はない

 

 ・そもそも班活動などなんの意味があるのか 

   → 掃除もレポートも発表も、結局は一番気の弱い人に押し付けるだけ 

     けっきょくは、担当になった人の個人プレーで、

     とてもチームワークなど養える場ではない

     それなら、タスクは個人に渡して、自分の仕事の責任を教える方が

     ずっと教育的ではないか

 

 ・一人ぼっちなのは、そんなにいけないことなのか

   → そもそも受験の志望校が違うのだから、数年後には

     必ずやこの同級生とはバラバラになって一人になるのに

     なんのために一緒にいなくてはいけないのか

 

 ・この連中も本当は仲がいいわけではなくて、一人がいなくなれば

  途端に、いなくなった人の悪口を言い始めるのに

  それでも、他人と一緒にいる人は尊いのか

  → 私は人と離れて一人でいるから、人の嫌なところは何も見ずに済む

    その分、いつも心穏やかでいられるのに、それは悪いことなのか

 

 ・そもそも、なぜ友人など必要なのか

  → 私が困ったときに助けてくれたクラスメイトなど一人もいなかった

    皆、知らんふりをした

    助けてくれたのは、物理的な問題は教師だけ

    生きることの辛さや悲しさを忘れさせてくれたのは、

             図書館でむさぼり読んだ

             オスカー・ワイルド芥川龍之介と塩谷七生だけ

    それなのに、こんな役に立たない「友達」を作るために

    時間と労力を使わなくてはならない理由は何か。

    少なくとも、費用対効果が悪すぎるではないか

 

中高生は生意気盛りなのもあり、かなり辛辣だったな、と

今の自分なら思えるのですが

この種の疑問を全部すっ飛ばし

押し付けられた「お友達と仲良くしましょう」のお題目は

その当時は、おぞけを振るうほど嫌なものでした

 

今思うと、当時はいわゆる「たのきんトリオ

つまり、ジャニーズ系アイドルが登場したばかりの時代でしたから

中高生がアイドルに夢中になるのも当然で

その中で、一人だけ、芥川の「地獄変」の美しさを説いても

だれも合わせてはくれないのは当たり前だと思うのですが

それがわからないのが、思春期というものでしょう。

理論は鋭くて、どこまでも純粋で、それだけに不寛容な時期です。

 

お近くにアスペルガーの人がいる場合は

私が書いたのとある程度同じことを考えているものと思って

接してあげてください。

 

特にそれが、まだ子供であったり学生であったりするときには

どうか、不用意に「お友達」を強要しないであげてください。

私にとっては、少なくともこれは

拷問に近いほどつらいことでしたから

 

  

アスペルガー関連書籍に物申す① 「アスペルガーの人はこう行動します」という説明のウソ 

 アスペルガーを健常者に紹介してくれる本について

いろいろな出版社から、いろいろな人が書いたものが出ています

それが

結構いい加減なものが多くて困ります。

 

題して

アスペルガー関連書籍に物申す」

これは、一言では言い切れないので

ここがおかしい、あそこが変だよ、と

シリーズで書いていきたいと思っています。

 

今回は、

アスペルガーの人はこんな行動をします」という紹介部分です。

これが、実にいい加減です。

障害特性としか言えないものも確かにありますが

これは個人差がある、少なくとも私は違う、と思われるものまでが

全部ぐちゃぐちゃに紹介されて

アスペルガーはこんな人」とまとめられているのを見るにつけ

なんとも、モヤモヤするというか。

これは違うぞ、と思う、というか。

ネイティブの日本人が、イタリア人の演出のオペラ

蝶々夫人」を見た時の気持ち、というか。

とにかく、不満がたまるのです。

 

アスペルガーの行動に、特有の癖があることは事実です。

ですが。

私に言わせれば、その特有の行動は、大きく三種類に分けられます。

 

① アスペルガー特有で、決して消せないもの

  (人の顔が覚えられない、などはこれにあたります)

 

 アスペルガーの傾向をもった人がとりやすいだけで

  工夫次第ではほかの行動をとれるもの

  (遅刻や、忘れ物、などはこれにあたります)

 

③ 完全な個人差

  (好きなものしか食べない、などはこれにあたります)

 

これをきっちりと分類し

特に②と③は、社会で生きていける程度に

まわりに合わせていく、というのが

アスペルガーの生き方の王道のように思うのですが

どうでしょうか。

 

ちなみに

特にアスペルガーのお子さんをお持ちの

健常者のご両親は、この分類を間違ってしまい

お子さんにも、ご自身にも大きなストレスを抱え込む原因に

なっていることが多いようです。

どうか、理解不足による不要な辛さに、苦しむことがありませんように